2008年01月08日

Fela Kuti『Ikoyi Blindness/No Buredi』

アフロビートの創始者Fela Kuti、絶頂期作品の2in1CD☆『Ikoyi Blindness/No Buredi』
IKOYI BLINDNESS/NO BUREDI
発表年:1976年
ez的ジャンル:元祖アフロビート
気分は... :闘い抜くぞ!

アフロビートの創始者Fela Kutiの本ブログ初登場です。

欧米以外の第三世界で、新しい音楽ジャンルを開拓したと同時に、ミュージシャンという存在を越えた熱狂的な支持を得たという点では、レゲエの神様Bob Marleyと並ぶヒーローですよね。

Fela Kuti(1938-1997年)は、ナイジェリア出身のミュージシャン。伝統的なアフリカ音楽にジャズ、ソウル/ファンクなどの要素を取り入れた独自の音楽スタイルを確立し、自ら“アフロビート”と命名して後世のミュージシャンに多大な影響を与えました。

また、腐敗したナイジェリア政府や富裕層を痛烈に批判する政治的メッセージでも知られ、彼と彼のバンドAfrica '70の活動拠点Afrika Shrineは聖地化し、ナイジェリアの一般市民からはBlack President(黒い大統領)の呼び名と共に高い支持を得ました。

そんな危険人物Fela Kutiに対してナイジェリア政府は弾圧を強め、1974年には大麻所持と未成年者誘拐の容疑で不当逮捕されます、拘置から2週間で釈放されますが、これに抗議したFelaは自宅を有刺鉄線で囲み、「カラクタ共和国(Kalakuta Republic)」と命名したコミュニティを形成し、政府との対立を一層深めます。

1977年には約1,000名の軍隊によってカラクタ共和国が襲撃され、多数の怪我人が発生しました。Fela自身も傷を負い、拘留されて裁判にかけられました。なお、この襲撃時のケガの影響でFelaの母Funmilayoは翌年死去しています。

1980年代に入ると、ナイジェリア国内に止まらず国際的にFelaの存在が知られるようになり、この間不当な実刑判決を受けるものの国際的な支援のもとにその活動を継続しました。1997年にエイズで死去。現在ではFelaの息子Femi Kutiが父の遺志を継ぎ、音楽活動を続けています。

政治的な姿勢のミュージシャンは数多く存在しますが、ここまで徹底的に自国政府と対決したミュージシャンはそれ程いないでしょうね。また、Fela Kutiの凄いところはそうした弾圧のもとでも、アフロビートのパイオニアとしてクリエイティブな作品をコンスタントに発表し続けたところですね。彼のオリジナル・アルバム全体をきちんと把握しているわけではありませんが、50枚は軽く超えるのでは?

中でも特筆すべきは、Fela Kutiが音楽的な頂点を極めたのが1976〜1977年であり、これはカラクタ共和国を通じて政府と真っ向から対立していた時期と見事にリンクしている点です。この2年間で少なくとも15枚以上のオリジナル・アルバムをリリースしていると思います。

現在、僕が持っているFela Kuti作品を眺めても、『Na Poi』(1972年)、『No Buredi』(1976年)、『Ikoyi Blindness』(1976年)、『Before I Jump Like Monkey Give Me Banana』(1976年)、『Excuse-O』(1976年)、『Zombie』(1976年)、『Opposite People』(1977年)、『I.T.T. (International Thief Thief)』(1979年)、『Original Sufferhead』(1981年)、『Perambulator』(1983年)の10タイトル(全て2in1CDなので実質は5枚)のうち、半数が1976年の作品です。

1976年はキリスト教の洗礼で受けたミドルネームRansomeを自らAnikulapo(“死を制御する者”の意味)と改名した年でもあり、自らのアイデンティティにさらに目覚め、闘争心と創造力に溢れていた時期なのかもしれませんね。

今回はその1976年のアルバム2枚をセットにした2in1CD『Ikoyi Blindness/No Buredi』を紹介します。

Fela Kutiの場合、大体アルバム全体で1〜2曲のパターンが多く、本2in1もアルバム2枚で全4曲という構成です。一般的には『Ikoyi Blindness』の方が有名だと思いますが、個人的には『No Buredi』もなかなか魅力的な作品だと思います。

驚くのは、まるで予見していたかのように、90年代以降のダンス・ミュージックと見事にリンクしている点ですね。このあたりが、クラブ・ミュージック好きの若いリスナーの方からも支持される要因なのでしょうね。

僕がアフリカのミュージシャンの作品を始めて聴いたのは、Felaと同じナイジェリア出身のKing Sunny Adeのアルバム『Syncro System』(1983年)であり、その後Youssou N'Dourなどを聴くようになりました。

King Sunny Ade、Youssou N'Dour等がアフリカンなワールド・ミュージックという印象を受けるのに対して、Fela Kutiはアフロなブラック・ミュージックって印象ですね。Fela Kutiの音は黒さの濃さが違うってカンジですかね。

そんな濃厚な黒さを堪能できるのが本作だと思います。

全曲紹介しときやす。

「Ikoyi Blindness」
前半の2曲はアルバム『Ikoyi Blindness』収録曲。このタイトル曲では、はラゴス(ナイジェリアの首都)の上流階級を痛烈に批判しています。そんな攻撃的な姿勢が強烈なアフロビートに反映され、結果としてクラブ・ミュージック好きも喜ぶ極上のダンス・ミュージックに仕上がっています。アフロ・ハウスの原型を聴いているような気がしてきます。煽るようなフリーキーなサックスを聴いていると、自然とハイテンションになりますね。

「Gba Mi Leti Ke N'Dolowo(Slap Me Make I Get Money)」
“俺の顔を叩くと高くつくぜ!”ってタイトルからして、Felaの闘う姿勢が明らかですよね。ベースラインが決まりすぎのアフロビートらしいファンクチューンに仕上がっています。Felaのいい加減だけどアシッドなキーボードの音色が印象的ですね。エレクトリック時代のMiles Davisのキーボードに共通するものを感じます。こんな至極のグルーヴは高くつくぜ!(笑)

「No Buredi(No Bread)」
後半の2曲はアルバム『No Buredi』収録曲。このタイトル曲はスゴすぎです。前述のように90年代以降のダンス・ミュージックと見事にリンクしているってカンジですね。14分強の曲ですが、この曲だけで1時間くらい聴いていたい気分になりますね。あとはこの曲に限らないことですが、FelaのアフロビートはドラムのTony Allen抜きには語れませんね。彼のリズムがあってこそのアフロビートって気がします。

「Unnecessary Begging」
これまでの3曲は高速アフロビート連発でしたが、この曲はレゲエとの共通点も見出すことができるメランコリックなミッド・チューンに仕上がっています。Bob Marley & The Wailersの「Get Up, Stand Up」(『Live』収録ヴァージョン)あたりと一緒に聴くと相性バッチリってカンジですね。

現在では2in1の組み合わせが異なり、『Ikoyi Blindness』『Kalakuta Show』(1976年)との2in1、『No Buredi』『Unnecessary Begging』のタイトルで『J.J.D.』(1977年)との2in1で発売されているようです。

他の作品も素晴らしいものばかりなのでボチボチ紹介していきたいと思います。

また、昨年再発されたトリビュート・アルバム『Red Hot + Riot〜Tribute To Fela Kuti』(2002年)あたりからFelaワールドに入る方法もあるかも?SadeD'angelo、Macy Gray、Common、Meshell Ndegeocello、Nile RogersTalib Kweli、Money Mark、Archie Shepp、Jorge Ben、Baaba Maal、Manu Dibango、Cheikh Lo等のジャンルを越えた豪華メンバーが参加しています。
posted by ez at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 1970年代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする