録音年:1970年
ez的ジャンル:ドープ&アブストラクト電化ジャズ
気分は... :エレクトリック・バードランド!
今年惜しくも逝去したジャズ・トランペット奏者Donald Byrd(1932-2013)が1970年にリリースした『Electric Byrd』です。
これまで当ブログで紹介したDonald Byrd作品は以下の4枚。
『Mustang』(1966年)
『Black Byrd』(1972年)
『Street Lady』(1973年)
『Places and Spaces』(1975年)
70年代のDonald Byrdといえば、Mizell兄弟が率いるSky High Production絡みの『Black Byrd』(1972年)、『Street Lady』(1973年)、『Stepping into Tomorrow』(1974年)、『Places and Spaces』(1975年)、『Caricatures』(1976年)といったアルバムのイメージが強くなってしまいますね。
その点、70年代最初のアルバム『Electric Byrd』は分が悪いかもしれませんね(笑)
『Electric Byrd』はタイトルの通り、Donald Byrdが電化ジャズに挑んだアルバムです。前作『Fancy Free』(1969年)から電化サウンドを取り入れたByrdがそれをさらに推し進めた1枚です。
レコーディング・メンバーはDonald Byrd(tp)以下、Jerry Dodgion(as、ss、fl)、
Frank Foster(ts、alto cla)、Lew Tabackin(ts、fl)、Pepper Adams(ba、cla)、Bill Campbell(tb)、Hermeto Pascoal(fl)、Wally Richardson(g)、Duke Pearson(el-p)、Ron Carter(b)、Mickey Roker(ds)、Airto Moreira(per)という編成です。
プロデュースは『Fancy Free』と同じくDuke Pearsonが手掛けています。
当然ながらMiles Davisによる電化ジャスに触発された作品であり、エレクトリック・マイルスと共通する空気があります。ただし、エレクトリック・マイルスがアフリカを想起させる音世界なのに対して、エレクトリック・バードの音世界は南米を想起させるものになっています。
また、ドープでアブストラクトながらもエレクトリック・マイルスのようなへヴィ感はなく、意外に軽やかです。
このあたりはプロデューサーDuke Pearsonの嗜好やAirto Moreiraや鬼才Hermeto Pascoalといったブラジル人ミュージシャンの参加も影響しているのかもしれませんね。
Airto Moreira作の「Xibaba」以外はDonald Byrdのオリジナルです。
エレクトリック・バードランドへようこそ!
全曲紹介しときやす。
「Estavanico」
ドープで幻想的な音世界の中をByrdのトランペットやフルートが浮遊します。静かなるカオスといった趣がいいですね。ラテンやエスニックなフレイヴァーが効いているのがいいですね。目を閉じると南米の密林地帯がイメージされます。
http://www.youtube.com/watch?v=oyhAo2MgHrU
「Essence」
土着的な弦の響きが支配する序盤から、エレクトリックとアコースティックの狭間で右往左往するかのような中盤へとアブストラクトなジャズ・ワールドが展開されます。
http://www.youtube.com/watch?v=RISUwB6jo2I
「Xibaba」
Airto Moreira作。「Estavanico」同様のドープで幻想的なサウンドを経て、アブストラクトなブラジリアン・ジャズが展開されます。ドープですがブラジリアン好きにはグッとくるはず!作者Airtoのパーカッションや鬼才Hermeto Pascoalのフルートも目立っています。
http://www.youtube.com/watch?v=YG0IC7JESaA
当ブログでは『Amazonas』に収録されたCal Tjaderのヴァージョンを紹介したことがあります。
「The Dude」
Ron Carterのベースが牽引するジャズ・ファンク・チューン。グルーヴィーで格好良いリズムをバックに各プレイヤーのソロを楽しめます。
http://www.youtube.com/watch?v=hyE2POSOR4E
Donald Byrd作品の過去記事もご参照下さい。
『Mustang』(1966年)
『Black Byrd』(1972年)
『Street Lady』(1973年)
『Places and Spaces』(1975年)