発表年:1977年
ez的ジャンル:N.Y.アフロ・キューバン・ジャズ巨匠系サルサ
気分は... :灼熱のN.Y.ラテン・・・
今回は夏らしく灼熱のN.Y.ラテンMachito Orchestra『Fireworks』(1977年)です。
MachitoことFrank Grillo(1912-1984年)はキューバ、ハバナ出身のコンガ奏者/シンガー/バンドリーダー。
1930年代後半にアメリカに渡り、40年代から自身のバンドを率い、マンボをジャズに取り入れたアフロ・キューバン・ジャズの確立に大きく貢献しました。
バンドリーダーとして数多くの作品をリリースしたMachitoですが、正直、彼のディスコグラフィについてきちんと把握できていません。
本作『Fireworks』は、プエルトリコ出身で当時19歳だった若手男性シンガーUbaldo "Lalo" Rodriguezをスペシャル・ゲストに迎え、サルサに取り組んだ作品として再評価の高い1枚です。
Cocoレーベルからのリリースであり、レーベル・オーナーのHarvey Averneがプロデュースを手掛けています。
レコーディングにはVictor Paz(tp)、Barry Rogers(tb)、Charlie Palmieri(p、org)、Jorge Millet(el-p)、Andy Gonzalez(b)、John Rodriguez (congas)、Tommy Lopez(bongos)、Nicky Marrero(timbales)等のミュージシャンが参加しています。
アルバムは大きくLalo Rodriguezがヴォーカルをとる楽曲とMachitoがヴォーカルをとる楽曲に分かれます。
Lalo Rodriguezをフィーチャーした楽曲では「Guaguanco A Mexico」、「Mi Ritmo Llego」といった灼熱のサルサがおススメ。Machitoのヴォーカル曲ではラテン・クロスオーヴァーな大作「Macho」、華やかなラテン・グルーヴ「Soy Salsero」がおススメです。
灼熱のサルサを聴きながら、缶ビール片手に激辛料理が食べたい・・・
全曲紹介しときやす。
「Mi Ritmo Llego」
Lalo Rodriguezのヴォーカルが躍動するオープニング。リズム・シャワーのような灼熱のサルサに高揚せずにはいられません。
https://www.youtube.com/watch?v=liyHLuj-jxg
「Desilusion」
Lalo Rodriguezがヴォーカルをとるボレロ。素晴らしいホーン・アンサンブルがラテン・ムーディーな雰囲気を盛り上げてくれます。
https://www.youtube.com/watch?v=IEG1obdiU2E
「Despierta Boricua」
主役Machitoがヴォーカルをとるソン・モントゥーノ。スケールの大きい開放的ラテン・グルーヴが実に心地好いです。
https://www.youtube.com/watch?v=bEMtyGx7KSE
「Guaguanco A Mexico」
本作のハイライトと呼びたくなるサルサ・グルーヴ。Lalo Rodriguezの若々しいヴォーカルとハイ・テンションのバッキングが至極のサルサ・ワールドへ誘ってくれます。
https://www.youtube.com/watch?v=wYftr3fs1ts
「No Seras Para Mi」
哀愁のメロディをLalo Rodriguezがムーディーに歌い上げます。
https://www.youtube.com/watch?v=dNwKcY7HsIY
「Macho」
13分半の大作。ラテン・クロスオーヴァーといった雰囲気のコンテンポラリー&プログレッシヴな演奏を満喫できます。
https://www.youtube.com/watch?v=n5OClzN4MhE
「Soy Salsero」
ラストはMachitoがヴォーカルをとり、華やかな雰囲気で締め括ってくれます。
https://www.youtube.com/watch?v=ddqWbjrmB8g
Machitoの他作品もチェックを!
『Kenya (Afro Cuban Jazz)』(1957年)
『Vacation at the Concord』(1958年)
『Machito with Flute to Boot』(1959年)
『Machito at the Crescendo』(1961年)
『Soul of Machito』(1971年)
『La Voz De Graciela』(1972年)
『Machito And His Salsa Big Band』(1982年)
『Machito!!!』(1983年)
『Live At North Sea '82』(1983年)