発表年:1971年
ez的ジャンル:スピリチュアル・ジャズ/ジャズ・ファンク
気分は... :真意を見極めろ!
今回は今回は実力派サックス奏者Gary BartzがNtu Troop名義でリリースした『Harlem Bush Music - Uhuru』(1971年)です。
これまで当ブログで紹介したGary Bartz作品は以下の4枚。
Gary Bartz Ntu Troop『Juju Street Songs/Follow The Medicine Man』(1972年、2in1CD)
『The Shadow Do』(1975年)
『Music Is My Sanctuary』(1977年)
『Bartz』(1980年)
本作『Harlem Bush Music - Uhuru』(1971年)は、『Home!』(1970年)、『Harlem Bush Music -Taifa』(1971年)に続くNtu Troop名義の第3弾作品となります。
タイトルから推察されるように、本作と『Harlem Bush Music -Taifa』は対となる双子アルバムであり、本来2枚組アルバムとなるものを別々にリリースしたと思えばいいでしょう。ちなみにアルバム・タイトル"Uhuru"はスワヒリ語で「自由」を意味します。僕などはBlack Uhuruを思い出してしまいますが・・・
Malcolm XとJohn Coltraneに捧げられた作品であり、ブラック・フィーリングに溢れたスピリチュアル・ジャズ/ジャズ・ファンク作品に仕上がっています。
レコーディング・メンバーはGary Bartz(ss、as、p、vo)、Andy Bey(vo)、Ron Carter(b)、Juni Booth(b)、Harold White(ds)、Nat Bettis(per)。特にAndy Beyのヴォーカルが目立ちます。
16分半の大作「Blue (A Folk Tale)」、パーカッシヴなグルーヴ感が格好良い「Uhuru Sasa」、Andy Bey作の「Celestial Blues」あたりがオススメです。
レア・グルーヴ好きの人が楽しめる1枚です。
全曲紹介しときやす。
「Blue (A Folk Tale)」
Gary Bartz作。16分半近くのオープニング。Bartz本人のヘタクソ・ヴォーカル&ピアノと共にスタートする序盤は不安になりますが、Bartzが本職サックスをプレイし、Andy Beyのヴォーカルが加わると共に、格好良いパーカッシヴなファンキー・グルーヴとなり安堵します。終盤は緩急つけたブラック・ミュージック的な演奏を楽しえめます。
https://www.youtube.com/watch?v=0J5zqVqAeuA
The BeatnutsがプロデュースしたChi-Ali「Chi-Ali vs. Vanilla Shake」でサンプリングします。
Chi-Ali「Chi-Ali vs. Vanilla Shake」
https://www.youtube.com/watch?v=n0yDmm7BMC4
「Uhuru Sasa」
Gary Bartz作。パーカッシヴなリズムにのったヴォーカル・チューン。レア・グルーヴ的な格好良さがあって僕はかなり好きです。
https://www.youtube.com/watch?v=3ujZ-D8ioU0
「Vietcong」
Hakim Jami作。ブルージーな演奏ですが、アルバムの中では一番地味な感じかも・・・
https://www.youtube.com/watch?v=t4NeoGeixBA
「Celestial Blues」
Andy Bey作。BartzのサックスとAndy Beyのヴォーカルが寄り添うメロウ・ファンク。リラックスしたグルーヴ感が心地好いです。作者Andy Beyヴァージョンはアルバム『Experience And Judgment』に収録されています。
https://www.youtube.com/watch?v=S_f1L-2a3ss
「The Planets」
Gary Bartz作。ラストはRon Carterのベースが牽引するブラック・ジャズ感の漂う演奏で締め括ってくれます。
ぜひ『Harlem Bush Music -Taifa』(1971年)とセットでどうぞ!
『Harlem Bush Music』 ※TaifaとUhuruの2in1CD
Gary Bartzの過去記事もご参照下さい。
Gary Bartz Ntu Troop『Juju Street Songs/Follow The Medicine Man』(1972年)
『The Shadow Do』(1975年)
『Music Is My Sanctuary』(1977年)
『Bartz』(1980年)